ランドセル格差

ランドセル格差なんてものがあるらしい。「ランドセルの値段やデザインでイジメの対象になってしまう」とか、怖い世の中です。でも、ランドセル格差を生み出しているのは、良かれと思って良いランドセルを買い与える大人たちなのよね。

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ランドセルの平均単価は、年々上がり続けていて、今や平均単価5万円。単価上昇は、じじばば消費によるもの。

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ランリュックは良いよ。1万円以下で買えるし、収入差がわからない。だいたい低学年から高学年に上がるタイミングで1回は買い替えている人が多かったが、人によっては兄・姉のおさがりを使っている人もいた。

「ランドセルを使っている人は転校生」という風潮であり、転校生は早々にランリュックに買い替えている人もいた。(今考えると、高価はランドセルをせっかく持っているのに、代わりにランリュックを使うなんて・・と思うが、しょせん高級品の価値は子供にはわからない。おそらく大人だってわからない。)

 

ランドセルだけではなく、同じような現象はある。手縫い雑巾とかも、金銭価値ではないが「お母さんが時間を使って手縫いをしてくれる」というところで子供に格差を見せつける。

子供がそのような格差を感じることを、完全になくすことは無理なんだろうと思う。ただ、できるだけ悩まずに育つことができる社会になってほしい。

「法則」とは何か?

ムーアの法則」が成り立たなくなっているといわれて久しい。

でも、そもそもムーアの法則」は経験則的な将来予想を「法則」と言うことには違和感あり。「法則」と呼ばれるものは、AとBとの間に普遍的な関係性があるものを指しているはずなので。

 

では、他にも同様に、怪しい定義で「法則」と言われているものってあるのかしら?

 

・・と思ったら、ありました。Wikipedia

法則の一覧 - Wikipedia

マーフィーの法則」も法則といえば法則。経験則なのね・・・等の発見がある。

そしてリストを見ていくと怪しいものがいくつか。AIDMAの法則って、「法則」だったのかしら? 現在の「AIDMA」の用法は購買にいたるまでの心理プロセス・モデルとして受け入れられていて、法則と言うには無理がある。しかし、AIDMAが生み出された課程を考えると「人が購買をするとき」に「直接購買に至らずにAIDMAを通ってから購買する」という法則として世の中に登場してきているので、一応「法則」ではある。

ムーアの法則も、AIDMAの法則にせよ、生み出されたときに「法則」として生み出されたものが、活用される段階で「法則」としての性質を失うこともあるのが言葉の面白さだと思う。

パパ活の不思議

最近「パパ活」とかいう人がいるけど、数十万円のために時間の無駄だと思う。

 

経験として蓄積されなくて若さを消費していくだけ。後から積み重ねをできる時間の使い方をした方が良いのになと思う。(何を役に立てるかは、スキル・経験・社名・人脈etc 人によってかなり違うとは思うけど)

 

自分が学生時代にやっていたバイトの中で、一番やってよかったと思っているのは家電販売員だが、それも当初始めた動機は

①「自分はコミュ障」と思ってコンプレックスだったので、それを変えたかった。

②何か「物を売る」という経験は、その後に何かしら役に立つと思った

③なんか面白そう

というものだった。

 

ただ、後から考えて、結局何の役に立ったかというと、

\就活の面接で話すネタができた/

\掃除機マニアという趣味ができた/

どのような形であれ、ある意味自分の資産になれたから良い。

大学のランキングを見て思うこと

2016年は、Financial TimesのMBAランキングからHBSが1位でなくなって代わりにINSEADが初めて首位をとったかと思ったら、アジア大学ランキングで東大が1位から7位に転落した。ランキング的には動乱の1年らしい。

この手のランキングを見るたびに、このようなランキングは本当に水物だなと思う。評価基準1つでどのようにも変わってくる。変動の原因を分析したりして実態との齟齬を指摘する人もいる。

実態がどうであることは色々と議論の余地があるのだろう。ただ、実態がどうであれランキングに行動を影響を受ける人が多いこともまた事実。

老婆心ながら、東大のアジア首位からの転落が『日本国内で競争するだけでは生き残れないかも』という危機感につながってほしい。(危機感のかけらもなかった自分の学生時代を思い出しながら。)

Gender Stereotypeで思うこと

■Gender Stereotypeのお勉強

MBAのお勉強の中で、「Gender stereotypeには2種類がある」と勉強する。

  • Descriptive Stereotype - "Men are tough", "Women are kind"
  • Prescriptive Stereotype -Men should be tough", "Women should be kind"

異性だけではなくPrescriptive Stereotypeも攻撃の対象となる。「Gender Stereotypeにとらわれずに人を判断しようね」というのがKey Messageであった。

個人的に新鮮だと思ったのは「そもそもGender Stereotypeは良くないことである」という前提から当たり前のように議論が始まっていること。日本では、フェミニスト的な発言をするだけで、「負け犬の遠吠え」「ブスの負け惜しみ」と言われる風潮がある。

私はどちらかというと「『女性らしさ』というものが求められる社会であれば、その中でどうやって生きていくのが生き易いかを考えるべき」と思う方である。所詮、自分には世論を変えることなんてできないと思っているし、自分の意見を言うことで自分が傷つく可能性があることは言わないで暮らしてきあ。おかげで「そもそも自分がどのようなスタンスなのか」を分からないことだってある。

でも、もう少し自分の思ったことを公言して良いのかなと思った。

 

 

■最近のニュース

日本では今でも「これはないでしょ」と思うような性差別的なことが多くてびっくりする。最近では5月にはHISの「東大美女図鑑の学生が、あなたの隣に座って現地まで楽しくフライトしてくれる!」という企画に対して、批判を受けて中止された。

まず疑問なのは、HISと東大は、何故この企画を通してしまったのだろう?社会から批判的に見られるリスクの高い企画を通してしまうのは、そのようなリスクを感知していなかったのか、あるいはリスクの高さを見余ったか。いずれにせよ社会的な良識が欠けているのではないか。

そもそも東大が「東大美女図鑑」という、女子大学生を美貌で売り出すこと斡旋する企画を野放しにしていることも信じられない。多くの東大生女子は、それまでお洒落よりも勉強を優先してきたのに、急に「東大生女子も外見に気を使いなさい」と言われるときの絶望感を、1人の元学生としてヒシヒシと感じる。

とはいっても、ネット上の議論は、着々と変化している。一昔前であれば、このような企画に対しても、一部の人が不快になっているまま、特に批判が表ざたになることもなく実施されていただろうと思う。

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